地震直後、茨城も含め、東日本の多くの地域では、断水と停電の状態になった。電車やバスも動かない。店の営業停止で、生活必需品も買えない。こんなふうに一瞬で文明が成し遂げた偉業が消えてしまい、しばらくの間、生活が時代はずれのようだった。

給水

蛇口から水が出なくなると、手洗いも料理も何もできない。たとえ、近くに湧き水などがあっても、それを汲んで持ち帰るのに容器が必要だ。僕らはアウトドア系で、空のペットボトル、ヘッドランプ、電池、登山用のガス台まで持っているけれど、このような物を持っていない人は、避難所に行くしかないでしょう。

水戸には、幸い、湧き水が何箇所かある。その一つ、笠原水源地は、家から2キロぐらい離れていて、比較的近い。地震の日、暗くなるまで水を汲んだ方がいいと判断し、たくさんのヘッドランプをサックに突きこんで、笠原水源地に自転車で出かけた。意外なことに、僕のように地震直後水を汲みに来た人は、一人もいなかった。

しかし、翌日の朝にまた笠原水源地に来たら、様々な容器、バケツ、ペットボトルを持つ人々の長い列が蛇行していた。並んでみたら、何時間も掛かりそう。「あら」と言いながら、近くの公園で蛇口から水を汲んだ。知られていないところだから、何人かしかいなかったんだ。面白いことに、この蛇口の場所の噂が笠原水源地で並んでいる人まで漂うと、そこから何十人かが小走りしながら蛇口まで来て、ここも込んでいる状態になるが、しばらくしたら、また誰もいない。こんなことは何回も周期的に起きていたようだ。

笠原水源地で長い行列
笠原水源地で水を汲みに来た人の長い行列ができた。

地震から一日か二日間が経ったら、水戸市役所付近でも飲み水が配られるようになった。最初の内、容量が厳しく制限されていたが。

食べ物

電気がないと、どんな店も営業できない。加えて、地震で店内は物が散らかっていて、片付けるのに何日もかかるでしょう。それにしても、各店やコンビニの前で店員さんたちが物を並べ、飲み物、ラーメン、野菜、電池などを売っていた。さらに、市役所付近では、飲み水、携帯トイレ、パン、ジュース、そしてなんと水戸名物であるわら納豆まで配られていた。量は多くないが、気づかいが感じて、ちょっと嬉しかった。

飲み水の配分
水戸市役所で飲み水や食べ物が配分中の様子。

どこでも突然現れた食糧不足の中で、皮肉なことに、家は逆の状態になった。冷蔵庫の中に入っている冷凍品や腐りやすい食べ物を早めに食べなければならないのだから。停電中の三日間には、ホットケーキ、チーズ入りオムレツ、焼き魚、焼餅など、震災の時に適しない食事をごちそうした。

交通

地震後の水戸付近の交通状態を以下の写真が明らかに示している。

橋に立ち止まる電車
那珂川を渡る常磐線の橋に立ち止まる電車。

普通の景色のようだが、この電車は地震が発生した瞬間に急ブレーキをかけ、この橋にもう一週間以上動かないまま(3月19日の撮影)。バスなら、道路の仮修理が行われ、数日でほとんど復旧されたが、電車はこんな簡単には修理できない。ニュースによると、修理しなければならない鉄道は水戸付近だけで500箇所以上あるという。鉄道はしばらく使えないのは事実だね。特に、電車で通勤していた人は大変らしい。一方、電車の代わりに車で通勤できると思われるけれど、厳しいガソリン不足が別の問題だ。